2008年5月27日火曜日

ポルトガルのスラムの住人の行く先は健全な賃貸住宅か?

ポルトガルの映画監督ペドロ・コスタの最新作「コロッサル・ユース」を見た。同監督の前作「ヴァンダの部屋」を見て、恐ろしく朽ち果てた住居群に生活する、あまりにも圧倒的に救いようのない人間たちを、まるで崇高なるものであるかのようにスタイリッシュにフィルムに写しこめた手腕に感銘を受けていた。その「続編」のようなものと聞いて見に行かざるを得なかった。

リスボン郊外のフォンタイーニャス地区という西アフリカからの移民が多く住むスラム街が舞台である。前作と同じ登場人物「ヴァンダ」という麻薬中毒の女性も出てくる。今回の主人公はヴェントゥーラという初老の移民男性である。妻とけんかをしてスラムの住居を追い出され、自分の「子供」であるという人が住む新しく開発されたアパートを訪ね歩く。ヴァンダはヴェントゥーラの娘であるということになっていて、ヴァンダは子供を生んでいた。スラム街の住人は、政府の開発により、新しいアパートへ移住させられていて、ヴァンダも真新しいアパートへ移り住んでいた。

スラムというものの実態を私は知らない。コスタ監督が映し出す朽ちた廃墟のような住居には、果たして大家が存在するのだろうか。単なる廃墟に、人々が「ただで」住み着いているのだろうか。そのあたりは、映画では、まったく説明がなされていないし、地元の人にとっては自明のことなのであるから、作品としては、どうでもいいことではあるだろう。だが、映画の中で、ヴェントゥーラに新しいアパートの中を案内する役人は、水道光熱費を滞納したら、止められてしまうし、家賃を払えなければ追い出される、とうことも説明していた。

スラムで最低の生活をしていた人たちが、新しく用意されたアパートの居住費を支払い続けることはできるのだろうか。謎である。スラムであろうと、新築のアパートであろうと、居住に関するコストは必ずかかるものであろうことは想像できる。新築されたアパートに「移住させられた」元スラムの住民は、これからどうなるのであろう。

キリストのような宗教的聖者のようにも見えてくるヴェントゥーラ。最後は、ヴァンダの無機質な部屋でだらしなく転がっているところで映画は終わる。

0 件のコメント:

LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...